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ロケ地まち案内
-東映大泉作品ロケ地検証紹介サイト-

ジャパン・スネークセンター 群馬県太田市藪塚町

『スカイライダー』第9話「コブランジンの殺人軍団」より

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トンネル部が撤去され景観は大きく変わっています。

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通路の塀や柵は当時のままです。

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背後に映る「毒蛇温室」は現存しています。

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立派な白蛇観音。
供養祭のテントが残念!

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いろいろ探しましたが大蛇の巻き付き方から考えてこのアングルで間違いありません。

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彼方に映る町並みは薮塚駅方面です。

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橋は現存。
かなりの急斜面をライダーは転げ落ちていきます。

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白蛇観音へと続くS字の道は健在です。

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今回発見に最も苦労した場所。
バーベキューコンロかと思っていたらベンチでした。


ここは、東武桐生線薮塚駅から北東へ約1km、または北関東自動車道太田薮塚ICから北東へ約5kmに位置する「ジャパン・スネークセンター」です。

開園は昭和40年、一般財団法人日本蛇族学術研究所が運営・管理を行っているヘビ専門のテーマパーク(?)です。
コブランジンとの決戦にはまさにうってつけのロケ地といえましょう。

劇中当時と比べ、若干敷地は縮小されましたがその独特な雰囲気は変わることがありません。
隣接する三日月村とあわせて一部では有名なB級スポット(失礼)だそうです。

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(左)南口エントランス。白蛇観音の裏手にあたる。
(右)北口エントランス。この雰囲気!

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(左)園内マップ。かなり敷地は広く高低差も激しい。
(右)ヘビ料理!今回はご遠慮申し上げました…

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(左)毒蛇温室!!
(右)大蛇温室!!!
いずれも中にはスゴイのがいっぱいいます…

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オープン当時の貴重な空中写真を発見!

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すべてが蛇尽くしな白蛇観音。

(撮影日:2018年10月21日)

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『ロボット100番』オープニングロケ地

『ロボット110番』OPより

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ガンちゃんを中心に日常の街並みが次々と映し出されていきます。

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まずは都営南田中アパート南側の児童遊園から始まります。

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続いて大泉公園南東部に移ります。

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映し出される御邸は、塀、門ともに寸分違わず現存しています。

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大泉公園南東の十字路です。

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東から西に向かい走っていきます。

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場面は変わり、南田中団地の南田中橋から東を望みます。
給水塔が現存しているのがわかります。

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大泉公園の西側、栄西通りの商店街です。
右側の茶色いタイルの店舗が現存しています。

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場面は大きく飛んで高島平へと移ります。
高島平警察署前交差点から北を望みます。

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続いて赤塚公園東側が映し出されます。

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最後は板橋西郵便局前を西に望みます。


東映大泉作品にふさわしく、練馬高野台、大泉学園町、高島平と安定の近隣ロケ地からのチョイスでまとめられています。
当作品のようなファミリーもの(?)はこういった身近なロケ地をOPに使用することにより、より効果的に視聴者に親近感を与えることに成功しているといえましょう。

(撮影日:2016年10月22日・2017年8月24日・2019年3月2日)

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コンクリート廃墟に関する考察 その4

現在は自然の障壁に阻まれ到達は非常に困難なものとなってしまったコンクリート廃墟。
しかしながら、そこへ到達するためのルートはいくつかあります。

ここでは比較的安全な西側からのアプローチルートをご紹介いたします。

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1.まずはここからスタート。左側に駐車場があります。
2.荒川に向かってどんどん進みます。

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3.ある程度進むと途中で右に曲がる道が見えてきます。
4.右に曲がり東へ向かってどんどん進みます。

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5.ある程度進むと正面に森のような場所が見えてきます。道なりに左へ大きく曲がります。
6.右手の森が途切れたあたりで一旦開けた場所に出ます。

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7.ここで方向を変え東南へ向かいます。森の間の細い道を進みます。
8.彼方に柵で仕切られた区画が見えてきます。柵の向こうには夥しい数の消波ブロック?があります。

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9.柵に沿って南に進みます。
10.しばらく進むと柵の角に出ます。

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11.柵に沿って東へ曲がります。
12.つきあたりまで進みます。

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13.つきあたりで下へ降りていきます。最大の難所!かなりの高さがあるので足元に十分注意してください。
14.無事下へ降りると植物の生態系がいままでと変わっているのがわかります。

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15.鬱蒼とした森を東へ進んでいきます。方向感覚が無くなるので注意してください。
16.左手に見えてくる不自然な小山が目的地、現在のコンクリート廃墟の姿です。

番号と地図を対照すると以下のようになります。

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また、上記11.の場所で東に進まず南に進むバリエーションルートも存在します。

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11.の場所を南に進むとかなり昔に作られたと思しき基礎?にぶつかります。
基礎の上を東に向かって進みます。

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しばらく進むと比較的新しい堤体?が現れます。
その上は整備されており、堤体伝いに北へ進むと14.の場所付近に出ます。
最大の難所13.を通らなくてすむルートです。

探訪時期としては12月~2月の冬場が適しています。
春~秋は植物の繁殖が著しく思うように進むことができません。
また、昆虫類の大群に襲われパニック状態になり正常な判断ができなくなります。
落ち着いて冷静に行動するためにも冬場の探訪をおすすめします。

なお、ある場所に時間と距離が大幅にショートカットできるワープルートが存在します。

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上記の通常ルートで到達した後ですと、このワープルートのありがたみがよくわかります。

(探訪は十分な装備をしたうえで全て自己責任でお願いします。)

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コンクリート廃墟に関する考察 その3

コンクリート廃墟の現在の姿。
あの印象的な光景はまだわずかにでも残っているのでしょうか。

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南側から見た現在のコンクリート廃墟全景。
盛土により小山と化しています。
もはやコンクリートの建物は確認できません。
緑に覆われ自然に還っています。

一見のどかに見える光景ですが、四苦八苦して北側にまわると…

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完全にカオスと化しています。
多種多様な雑草類が当たり一面を覆いつくしています。
まるで聖域に足を踏み入れるものを拒むかのような自然の障壁ではありませんか。

盛土の質があまりよくないのか、脆弱な地面を踏みしめながら先へ進んでいくと、

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不規則な形状のコンクリート片が散見されます。
一気に興奮が高まります!
足裏の感触から一面コンクリ片が埋まっているであろう場所もありました。

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地面から突き出た鉄筋やパイプ?などもあります。
ここが人工の小山であることを物語っています。

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こころなしか草の生え方が周囲と異なる場所がありました。
かつてのトンネルがここにあるのでしょうか?

繁みが途切れた場所を狙って上へのぼると…

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絶景かな!
なにかの痕跡があることを期待しましたが、な~んにもありません。
すべては土の下です。

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相当な高さがあります。
件のコンクリート構造物をそのまま埋めてしまったとしても不思議はありません。
掘れば出てくるのでしょうか?

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東側、西側ともに何の痕跡も残っていません。
ここがかつてのコンクリート廃墟であったことを実感するためには相当の想像力が必要です。

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往時を彷彿させる大きな穴がありました。
地盤が脆弱なので陥没したのかもしれません。


姿は変われど確実にそこに存在したコンクリート廃墟。
現在は自然の障壁に阻まれ到達は非常に困難なものとなっています。
そのアプローチルートは?

次回に続きます。

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コンクリート廃墟に関する考察 その2

コンクリート廃墟の用途と目的。
それはいったいいかなるものだったのでしょうか?

荒川に関連したなにかの治水施設だったのでしょうか?
しかしながらこれにはいくつかの疑問点があります。

・荒川から離れ過ぎている
・規模が小さい
・施設としての統一性が無い
・全体的に造りが粗雑 

…等々

劇中で窪地の広場に水が溜まっている映像をよく見かけることから治水施設を連想させますがどうも違うようです。

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ここで1960年代の空中写真を広域で見てみましょう。

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1960年11月

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1969年4月

1960年代の高度経済成長期、荒川中流域ではコンクリートの原料となる砂利の採取が最も盛んな時期でした。
当時の空中写真を見ると、河川敷で大規模ななにかの作業が行われている様子がうかがえます。
これがまさに砂利採取の現場であり、その作業はある場所を拠点として行われているように見えます。

この荒川砂利採取の拠点こそが、コンクリート廃墟だったのではないでしょうか?(※)

荒川砂利採取は1960年代後半にピークを迎え、1970年代に入ると規制もあり速やかに衰退していきました。
この期間は空中写真から推測するコンクリート廃墟の稼働期間とも一致します。

この場所を砂利採取場と考えると、後年ロケに使用されたこれらの不思議な構造物群の役割も推測できそうです。

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1975年1月

1970年代初頭には役目を終え、人知れず静かに朽ちていくはずだったコンクリート廃墟。
しかしながら、その独特の雰囲気や撮影における諸条件などは作品をつくり上げる上で非常に魅力的だったように思われます。
1980年の関越自動車道花園IC開通によるアクセスの向上が決定打となり、頻繁にロケ地として使用されるようになったのではないでしょうか?

我々の心に強烈な印象を残したコンクリート廃墟。
その現在の姿はいったい?

次回に続きます。

(※)前回の記事にコメントをくださった方々の貴重なお話により、この場所は砂利採取場でほぼ確定しました。
改めて御礼申し上げます、ありがとうございました。


もし、この場所に昔行ったことがあるという方、内部や周りはこうなっていた、等々ご存知の方がいらっしゃいましたらどんな小さなことでも結構です、恐縮ではありますが情報ご提供願えませんでしょうか?

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